お酒に甘えてしまう人達へ

――― いらっしゃいませ『お客様』。こちらの席へどうぞ。今週オススメの話題はこちらです。
コーヒーと、タバコと、お酒と
コーヒーは1日に5杯。タバコは1日に1箱。お酒はビールか日本酒かワインを「たくさん」。 お客様ではなく、調理専門学校時代に仲良くしていた友人のお話。 色白で背が高く、少し明るい茶色に染めたロングヘアが、よく似合っていました。 アルバイト先の飲食店も同じで、共通の話題も多く、一緒にいる時間は他の誰より長かったように思います。 勉強熱心で真面目、聡明で美貌の持ち主でした。学校でもアルバイト先でも、彼女が通れば人は振り返り、その残り香と後ろ姿に数秒心を奪われるほどでした。 料理はフレンチを専門とし、卒業後は渡仏を視野に日々勤しんでいたようです。 彼女自身も、また彼女の料理からも、太陽よりは月、昼よりは夜が似合う、影と憂い、繊細な美しさがそこにはありました。 そして、一緒にいる時間が多いはずなのに…彼女は私や、他の人には決して立ち入られたくない境界線のようなものがあるようでした。 彼女は、壮麗な外見からは想像できないほどに、コーヒー、タバコ、お酒を摂取していました。 短大を卒業してから専門学校へ入学したので、当時20歳は過ぎていたものの…その嗜好品への執着には友人ながらも少々狂気じみたものを感じずにはいられませんでした。
寂しさが嗜好品に向く時、人は本当に救われる?
とはいえ、彼女がそのような状況と知ったのは、ある夜彼女が泣きながら私に電話をかけてきて、初めて自宅に行った時の事でした。 対外的には、彼女はそれら嗜好品を「摂取していない」ように繕っており、私にも隠していたのです。 灰皿から溢れんばかりの吸い殻と、流しに積まれたマグカップ、床に転がる酒瓶…料理の本以外、他には何もない殺風景な部屋。彼女は私の両腕を正面から強く握ったまま「ごめん、本当にごめん…」と言いながら、ただただ泣き崩れました。 彼女は悪いことなど、何一つしていません。ただ、個人の内に抱えていた闇に飲まれそうになり、それを嗜好品だけでは補えなくなったようでした。そして、気づけば私に電話をかけていたようです。 長い髪は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていました。水を飲ませ、かろうじて落ち着かせると、彼女は少しずつ自分自身の弱さを吐露していきました。 「将来への不安とか、自信の無さとか、焦燥感がいつもあって…コーヒーとタバコは、もう癖になっていて。お酒を飲んでいる時は嫌なことを忘れられるし、眠れない日も眠れる。開放してくれているような気がしたの。作る料理がこれで良いのか…周りの評価が信じられなくて、またどんどん不安になっていって…それでも作らずにはいられない、私にはこれしかない…って思うと、もう、自分が壊れそうになってしまって…」 私はただ彼女の話を黙って聞くしかありませんでした。彼女の嗜好品に対する執着と、いつもの彼女とは違う姿の一人の人間とをなかなか受け入れられなかった事と、私には彼女の不安や悲しみが、分かるような、分からないような…と戸惑っていたからです。なぜそこまで思いつめ、悩むのか… 彼女とは卒業後疎遠になってしまいましたが、ただ彼女のその時の姿を…店を構えてから頻繁に思い出します。お酒に甘えてしまうお客様には、そのような悲しみを抱えた方が大勢いらっしゃいます。
悲しみはただそこにあって、表現の原動力になります
少なくとも嗜好品でその人の抱える悲しみを癒やすことは出来ないでしょう。一時ピントが外れてぼかしてくれるかもしれませんが…。 とはいえ、悲しみは溜まっていくものでもなく、誰しもが一定量は抱えており、それがどのように良いエネルギーに還元されるか、代謝されるのかで個人の「強さ」が決定づけられるように思います。 悲しみは「解決しよう」という考えるよりも、違う形に還元するほうが…恐らくその人の救いになるのだろうなと感じます。 嗜好品に甘えがちな方は、強く集中できる趣味を作ったり、日頃から呼吸を深くするよう気をつけるだけで、随分変わってきますよ。 彼女は今どうしているのか…嗜好品との良い付き合い方が出来ていますよう。
――― お帰りですか?お代金は結構ですよ。来週、またのお越しをお待ちしていますね。
